top of page
イギリス国旗.jpg

第15次ヤッスホユック発掘調査(2024年)

第15次ヤッスホユック発掘調査は、遺丘頂上部の発掘区Area 1で、2024年9月6日から11月8日までの約10週間に亘り実施されました。今年度は、発掘区を覆う保護屋根の東半分を外し、発掘区のクリーニングをおこなったうえで、発掘作業を開始しました。

Fig. 1 DJI_0116縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.1  ヤッスホユック全景

1.  2024年度ヤッスホユック発掘調査の目的と発掘区域

1.2024年度ヤッスホユック発掘調査の目的と発掘区域

 ヤッスホユックの発掘調査は、前期青銅器時代から鉄器時代に至る都市遺構を発掘し、特に前期青銅器時代の編年を明らかにするとともに、前期青銅器時代から中期青銅器時代への変化を捉え、紀元前3千年紀から2千年紀における都市国家の発展が如何なるものであったかを詳らかにすることを目的としています。この目的に向けて、2022年以来、遺丘の頂上部(Area1)で前期青銅器時代のより古い層への掘り下げを進め、第III層(前期青銅器時代)ないにおける編年をより詳細に検証することに重きを置いています。

 2024年度も、王宮址と思われる大建築遺構(第1建築層III-1)が検出された第1の大火災層と、その下方にE9/d1, E8/g1p0, E9/g1, E9/f1グリッドで部分的に確認されている第2の火災層に至る複数の建築遺構について調査を進めました。

 2024年度の発掘調査は、Area1の北東部にあるE8/f10, E8/g10, E9/e1, E9/f1, E9/g1の5グリッドを中心に進められました。

Fig2.jpg

Fig.2 前期青銅器時代の王宮址(Ⅲー1,建築層)実測図

2.  発掘調査

2.1. 第1建築層(III-1、第1火災層):王宮址に属する壁の取り外し

 ヤッスホユック第III層ではこれまでに前期青銅器時代に属する二つの火災層が検出されていました。上方の第1の火災層で検出された王宮もしくは公共建築と見られる大規模な建築遺構は、第1建築層に位置付けられ、その遺構群は2009-2016年にほぼ発掘されています。この王宮址に属する部屋のうち、E9/d1グリッドのR39(W387)は2022年度に、E8/g10-E8/f10-E9/g1-E9/f1で検出されたR102およびR46の床面および北壁W121は2023年度に取り外され、この区域でより下方の第2の火災層へ掘り下げが進められました。2024年度は、E8/g10グリッドで残存していたW121の一部、E8/f10-E9/f1-E8/e10-E9/e1グリッドでR21(W58, W19)、E9/f1グリッドでR149(W278, W296)、E9/e1グリッドでR104-R105(W278, W281, W282)の取り外しを行いました。

W121:R46とR47間の壁W121のE9/f1-E9/g1グリッドに位置する部分は2023年度に既に取り外されており、2024年度にはE8/g10グリッドに残されていたW121の一部の取り外しが為されました。W121を取り外す際に確認された壁の建築工法は昨年度の報告にもありますが、以下の通りです。このIII-1層で取り外されたいずれの壁も、ほぼ同様の工法で築かれていました。

Fig. 3 W121-1-01縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

最下段の基礎部には、直径約20-25cm、長さ約2mの丸太が3本、壁の長さ方向に平行に敷かれ、間には土が詰められていました。

丸太の上には、壁の幅一杯に約1mの長さで大型の石が詰められたブロックが 約1.5m間隔で繰り返され その大型石のブロックとブロックの間の約1.5mの空間には、壁の幅の長さの丸太が枕木のような形で並べられていました

場所によっては、①の上に比較的小さな石を敷き、その上に②’と同様に並べられた丸太が観察されました

Fig.3 W121,E9/g1,Ⅲ-1

上記の丸太と石で築かれた基礎の上に、人頭大の石が約2mの高さで積み上げられています

その上に約30cm x 50cm x 10cmの大きさの日乾煉瓦が、積み上げられていました。

壁の前面の化粧土は、第1床面より下のすなわち古い第2床面に伴う部分では厚く(約20cm)、第1床面に伴う部分では比較的薄い(約5cm)ものでした。どちらも最表面は石灰プラスターが塗布されていました。

Fig. 4 DJI_0087..jpg

Fig.4 2024年度に取り外しを行った遺構群

R21の取り外し

 王宮址の中心にあるR8の南北にはこれに平行して細長い廊下状の空間R21とR27が設けられています。これらのうち北側のR21の取り外しを行いました。床面を外し、R21とR102-R46の間の壁W58、さらにR21とR8の間の壁W19を取り外しました。約7-8 cmの厚さの第1の床面の下に、もう一枚の床面が検出されました。約2cmの厚さのこの第2の床面の下に検出された黄灰色の土層は、W58の縁辺で切られていることが確認されました。すなわち、W58を建設

する際に、この黄灰色の土層を切り込んでわずかに溝を掘り込み、そこにW58の基礎を築いたことになります。

 R102-R46とR21の間の壁W58は、この王宮址を建設する前に、基礎とすべく敷詰められたと考えられる黄灰色の土層を、壁の幅に合わせて一部掘り込み、壁に平行に並べられた丸太と石による基礎の上に、1m余り積み上げられた石積みがあり、その上に日乾煉瓦が積み上げられていました。この部分では基礎の丸太の残存状態は良くありませんでしたが、W58と直行するW20の断面でW19へ延びる炭化した丸太が観察されています。W58もW121とほぼ同様の構造です。

 R21とR8の間の壁W19とR8の他の三つの壁W17、E20、W80は、この大遺構の他の壁よりも厚く築かれていますが、その構造はW58やW121とほぼ同様です。しかし、壁を築いている日乾煉瓦部分が少なく、石が2m近くのより高い位置まで使用され、さらにその石が比較的粗雑に詰め込まれていることから、これらの壁が急遽、修繕、再建された可能性が考えられます。

R149,R104,R105の取り外し

R21とR102の東側に発掘された小部屋R149、R104、R105はW278、W296を共有し、R21ともW19、 W281、W283を共有しています。

 R149はグリッドの東端辺に近くの狭い場所で出土しており、遺構内部および床面の調査は、W278、W296の上部を取り外した後に行うことができました。約2-3 cmの厚さの床面は火を受け、炭化していましたが、この床面の下には第2の床面は検出されませんでした。この床面を取り外した後、W278、W296の基礎部の取り外しを行いました。これらの壁もその工法は、W121はじめ他の取り外しを行なった壁とほぼ同様でした。

 R104、R105は、鉄器時代の建物によりひどく損傷を受けており、その床面も十分に保存されておらず、すでに床面下の埋土が露出してる状態でした。このため、R149と共有する壁W278、W296、R21と共有する壁W281と同時に、R104とR105間のW282、R105の南壁W293も取り外しました。

W289,W292,W294(Ins32,Ins33)

R21から南方向に延びるIns32とIns33は、上部構造を鉄器時代の建物により破壊されてしまっていましたが、石積みの基礎W289、W292、W294の間に黄色粘土を詰めた遺構がIns32、Ins33として確認されています。W289にはR21とIns32間の敷居と見られる木材が敷かれていました。これらの基礎の石列がW19、W281、W282、W295と繋がっていることを確認し、これらを取り外しました。

E9/e1におけるR39-R8の一部取り外し

E9/e1グリッドに残存するR39の床面、北壁W19の取り外しを行いました。床面に先立ち、W19の南面に付加されていたベンチも取り外しました。また、R8とR39の間の壁W80のE9/e1グリッド内の部分の取り外しも行いました。W19とW80の交差部分の基礎部には緻密に敷き詰められ丸太が検出されました。

Fig. 6 W80-W19縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.6 W19とW80 挟んでR8を囲むR21とR39R21とR39

Fig. 5 DJI_0156縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.5 取り外し作業中の遺構R21(W58)、R149,R104,R105,Ⅲー1

Fig.7     W19とW80の交差部分の基礎部に敷かれていた丸太材

Fig. 7 W19-W80縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

2.2. 第1ー第2火災層間の建築遺構(第2,第3建築層)とピット群

前年度までに確認されている前期青銅器時代の二つの火災層の間には、少なくとも二つの火災を受けていない建築層とピット群層があることが、より明らかになりました。

2.2.1. 第2建築層(III-2):E9/e1グリッドで、R21の直下に検出されたR165は、最下段の石列のみが残るW433とW434が発掘され、北壁と西壁は残存していませんでした。しかし、その出土状況、建築スタイルから見て、2023年度にE9/f1 グリッドの北東隅で検出されたR161、2022年度にE9/d1グリッドで出土したW369とともに、第1建築層の王宮址直下かつ王宮址によって概ね損傷された建築群のうち、辛うじて残存したものであると見られます。

Fig. 8 DJI_0399縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.8     R165,E9/e1,Ⅲー2ー2

2.2.2. 第3建築層(III-3):W121の南側R21を取り外したのちの黄灰色の埋土の下から出土した矩形の遺構R166は、西と南の壁は壁のための掘込まれた溝が残るのみで壁そのものは確認されていませんが、東壁W438と北壁W440は基礎部の大型石列が残っており、前年度にE8/f10グリッドで出土している東壁沿いに三つの炉が並んだR152とその隣のR153に繋がる遺構と考えられます。E9/g1グリッドで検出された溝状の堀込みは、R152の北東へ延びていた2本の壁に繋がり、これも何らかの理由で礎石が抜き取られた状態の壁のために掘り込まれた溝であると考えられます。このR152の北辺の溝はさらに北西方向へも伸びており、R152、R153、R166を含む建物がかなり大きな建造物であったことが推察されます。R166の北西部で検出された周囲が小石で囲まれた炉H53は、R152のH46、H48、H50と同様の形態と言えます。また、R166の中央近くでは中程がやや窪んだ小型の円形の炉H54も検出されています。

Fig. 9  DJI_0950-01縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.9    R166,E8/f10,Ⅲー3

2.2.3. E8/f10、E9/e1でIII-1建築層の王宮址に属する壁とともに部屋を取り外すと、多数のピットが確認されました。これらの多く (P452 P453 P455 P457 P460 P427 P462 P463 P466 P467)は、R165(III-2)よりも古く、R166(III-3)よりも新しいと見られます。ただし、P462とP464はR166(III-3)よりも古いと考えられます。

Fig. 10 DJI_0703-01縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig10. 第1ー第2火災層間に出土したピット群 E8/f10,e1 

2.3. 第2火災層に属する建築遺構(第4建築層 Ⅲー4)

2022-2024年度の発掘調査で前期青銅器時代の第2の火災層には、少なくとも2度の増改築を経て3期に区分される遺構群が確認されました。

2.3.1. III-4-1: R141、W377、W441、W442、W443は、後述のIII-4-2に付加されたものです。2022年度にE9/d1グリッドで確認されたR141の延長部がE9/e1グリッドで発掘されました。W441とW443がW442と交わって作る空間は、R141の北側部分と考えられます。R141の東端部では、E9/d1グリッドであったと同様に、多数の日乾煉瓦が重なり崩れ落ちた状態で検出されています。W442の中程には出入り口とおぼしき間隙があり、壁の南側には階段と思われる化粧土が施されたステップが残されていました。また、W441とW442による内側隅には日乾煉瓦による壇状の構造物が検出されています。

Fig. 11 DJI_0906-01縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.11 R141,E9/e1-E9/d1,Ⅲー4-1

2.3.2. R164 (III-4-2-1): R164はW429の構造から観察して、本来III-5建築層に位置するW427の上部(III-4-2-2の時期にR157の西壁として後補)に沿ってR157の西側に増築されたものの様です。部屋内部には、狭い通路を挟んで設けられた二つのプラットフォームに口縁部まで埋められた大型の甕が17点確認されました。

Fig. 12 IMG_6991 縺ョ繧ウ繝偵z繝シ2..jpg

Fig.12  R157に隣接するR164,E8/g1p0,E9/g1,Ⅲー4-2-1

Fig. 13 R164.jpg

Fig13   R164,E8/g10,E9/g1,Ⅲー4-2-1

Fig. 14 DJI_0904-01縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig14      Ⅲ―4建築層(第2火災層)の遺構群

2.3.3. R140、R144、R147、R154、R155、R155、R156、R157、R158、R159 (III-4-2-2): 後述のIII-5建築層に属する壁の直上に建設されています。R154およびR157の石灰分の多い白灰色の床面は2023年度にE9/f1グリッドで一部出土していましたが、その北への延長部分を今年度E9/g1 グリッドで確認されました。R157内部では、保存状態は良くありませんが、口縁部より上部のみが床面上に出た状態で埋め込まれた大型の甕が3点検出されています。

 R155では、床面は損失しており確認できませんでしたが、2点の尖底の大甕が横倒しの状態で発見され、このレベルがほぼ床面であったと推定されます。

 R156の東端に検出された3段の階段は、おそらくさらに西端に向かって昇っていたものと推察されますが、中央から西は損失しており、確かではありません。ただ、東端のステップは、R156とR158の東南部で一部保存されていた床面に繋がっており、建物への出入り口であった可能性が考えられます。

Fig. 15_MG_2506縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.JPG

Fig.15      R156東端に出土した階段 E9/e1,Ⅲー4-2-2

2.4. 第3火災層に属する遺構群  (III-5建築層)

 R154とR157の直下およびW409の直下に確認された壁W414、W426、W427、W428、W439は、未だ発掘は進んではいませんが、R162とR163を構成するものです。上述のIII-4-2建築層では、古い建物であるIII-5建築層のR163の西壁

W427の上部が、W428の上方に築かれたW409とともにR157として再利用されていたものと考えられます。E9/g1グリッドの北東隅で、おそらく紀元前2千年紀に垂直に深く削られ破壊されてはいますが、W427、W418と交差するR163の北壁W439が出土し始めました。この破損部分での観察によれば、R163の西壁W427は北壁W439とともにより深く続いている一方、R164の東壁であるW429は、R157の東壁であるW427の上方部と平行してW439の上端レベルで終わっていました。また、R164で床に埋込まれた大甕のうちR164の北端でその断面が観察できるものの器底は、いずれもW429の基礎の底部から下には確認されませんでした。

 III-5建築層の発掘は未だ、グリッドの北東端の破損部での部分的なものでしかなく、詳細は明らかではありませんが、2025年度以降の調査で詳らかにすることができると考えます。

Fig. 16 DJI_0905-01縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.16      R162,R163,E9/g1,Ⅲー5

Fig. 17 W439a縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig,17      R163の西壁W427と北壁W439,E9/g1,Ⅲー5

3. 土器と小遺物

3.1. III-1建築層の王宮址に属する遺構の一部を取り外す際に出土した遺物としては、印影付封泥、刻文付小紡錘車が見られます。土器はろくろ製と手捏ねのものがともに出土しています。

3.2. 第1-第2火災層間(III-2, III-3)で出土した遺物には、3点の石製印章の他に、金属製品とした、青銅製のピンやリング、鉛製のリングに混じって、鉛製の円盤形イドルが発見されました。このイドルは、キュルテぺのアラバスター製の円盤形イドルに類似した形状ですが、その材質の違いが注目されます。土器の中には典型的なアリシャルIII式土器が見出されました。

Fig. 18 240004_004縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.18      印影付封泥 240004

Fig. 20 240011_004縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.20      刻文付紡錘車 240011 焼成粘土

Fig. 22 240001_004縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.22     足形印章 240001

Fig. 24 240077_006縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.24     スタンプ形印章 240077  石

Fig. 19 240006_004縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.19      印影付封泥 240006

Fig. 21 240013_004縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.21       片手付杯 240013 手捏ね

Fig. 23 240026_005縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.23     スタンプ形印章 240026  石

Fig.25    円盤形イドル 240032  鉛

Fig. 25 240032a縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg
Fig. 26 240055_004縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.26    アスコスもしくは動物形容器 240055,アリシャルⅢ式土器  

3.3. 第2の火災層(III-4)では、床に埋め込まれた状態で多数確認されている大甕の発掘はまだ行われていませんが、その周辺でいくつかの片手付杯や尖底杯のような小型の土器や小型の紡錘車が出土しています。

Fig. 27 240045_004縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg
Fig. 28 240067_011縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.27     片手付杯 240045  赤色磨研  ろくろ製

Fig.28     尖底杯 240067   ろくろ製

Fig. 29 240025_005縺ョ繧ウ繝偵z繝シ.jpg

Fig.29    刻文付紡錘車 240025   焼成粘土

bottom of page